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豊田おいでんまつりとは
What's OIDEN?豊田のまちに色鮮やかに咲く「おいでん踊り」と、
東海地区最大規模の「花火大会」。
熱気と歓喜に満ち溢れた豊田の夏の祭典。
豊田おいでんまつりのはじまり
昭和43年8月、明治100年を記念して、以前から中心市街地で行われていた「天王・扇まつり」の日程に合わせて「第1回豊田まつり」が開催されました。この頃の豊田市には市町村合併や自動車産業の発展により、市外や県外から多くの人が働きに来ていました。「新しく豊田市に来た人も昔から住んでいる人も一緒になってふれあい、ふるさと豊田のお祭りとして楽しみたい」という願いから「豊田まつり」は生まれ、「市民民踊大会」と「花火大会」を中心に、地域に根ざす伝統行事として発展してきました。
20年間続いた「豊田まつり」をもっと楽しく、もっと魅力あふれるまつりにしたいという思いから、昭和63年に「豊田まつり懇談会」が組織され、より多くの人々に楽しんでもらえるよう様々な検討が重ねられました。そして、平成元年に、「豊田まつり」は「豊田おいでんまつり」と名称を変え、新たなスタートを切りました。
豊田おいでんまつりのいまとこれから
豊田おいでんまつりは「おいでん総踊り」と「花火大会」の構成で始まりました。
「おいでん総踊り」は、『おいでん』の曲に合わせて、踊り連が思い思いに工夫を凝らした衣装をまとって踊る「おいでん踊り」を楽しむまつりです。初めての人でも気軽に参加できることから、多くの人に親しまれました。また、「花火大会」は、日本屈指の花火師が、趣向を凝らして打ち上げる花火を目当てに、毎年多くの来場者が訪れ、東海地方最大規模の花火大会として高い評価を受けています。
時代を経るにつれ、市民ニーズも多様化し、さらに質の高いまつりへの転換が求められたことから、平成18年に「豊田おいでんまつり懇談会」が組織されました。そして、平成19年には、市内各地で「おいでん踊り」を踊る「マイタウンおいでん」がはじまり、広くまつりを楽しむことができるようになりました。
こうして、多くの方のご支援のもと、豊田の夏の風物詩として長く愛され、平成30年に第50回の節目を迎えることができました。また、「市民のまつり」としてのさらなる発展に向けて、「おいでんまつり検討委員会」が組織されました。ここで検討された「第51回以降のまつりに向けての提言」をもとに、豊田おいでんまつりは、ふるさとのまつりを目指して、地域とともにさらに成長していきます。